『大奥 第四巻』よしながふみ

大奥 第4巻 (4) (ジェッツコミックス)よしなが ふみ白泉社 2008-12-24by G-Tools 波乱万丈の家光の話が終り、なんだか寂しい家綱の生涯を経て、綱吉の時代に突入しました。 いやー、なんだろう、このわくわく感は。誑しでアンニュイでこの先いろいろやってくれそうな綱吉さまに心もはずみます。周りの人間もクセがありますしね。父親の玉栄、柳沢吉保、右衛門佐。 あと、大奥の話と平行して、農村の様子も継続して描かれていますよね。二巻で登場した本百姓の神原家の子供たちも大人になり、家を守るために懸命に生きています。 文字の記録からはうかがい知れない歴史の裏側を妄想するのに、やっぱり庶民の話も欠かせないです。

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『アンナ・カレーニナ(4)』トルストイ

アンナ・カレーニナ〈4〉 (光文社古典新訳文庫)望月 哲男 光文社 2008-11-11by G-Tools 『アンナ・カレーニナ(1)(2)』『アンナ・カレーニナ(3)』の続きです。 全4巻、読み終わりました。 アンナとリョーヴィンは、この巻で初めて対面するんですね。すごく印象に残る場面でした。 『アンナ・カレーニナ』には二組の恋愛の行方を追う他にも、読み所がたくさんあります。 舞踏会や競馬などの上流階級のイベントの空気。登場人物の性格や立場を掘り下げたり、解説にあるように宗教なり経済(懐具合)なりのキーワードで場面を拾ってみるのも面白そうです。 思うにアンナって、結婚生活や社交界を向こうに回し、弱い立場に追い込まれながら純粋な愛に生きようとした悲劇のヒロインというわけでもないですね。自分の気持ちに正直でありたいというのはあっただろうけど、欲望にも正直だし、計算高いところもあります。 リョーヴィンも同じく気持ちに正直ですが、こちらは物事を頭で理解するというより、心と体を使ってのみこもうとします。くよくよくよくよ物を考え、他人の干渉にはカッとしたりむっとしたり、内面は忙しい人です。 彼は「信仰」の問題を胸の奥に抱えています。第8部でリョーヴィンの考えることや道徳観の全てに共感するということはないけれど、最後に彼が神と信仰の認識に至る場面には、きらっと光るものがありました。 よかったですトルストイ。他にも読んでみるかな。

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『未見坂』と『聖家族』を読了

『未見坂』堀江敏幸 とある地域に暮らす人々の日常を描いた連作短編集です。『雪沼とその周辺』に繋がる話ですね。 未見坂がある地域の描かれ方は、住民も高齢化した古い市営住宅があって、幹線道路沿いには大型スーパーがあり、若いファミリーが住む新興住宅地もできて…という、時が止まったような『雪沼~』よりは少し現実寄り? な感じがします。なんとなく『郊外へ』が示す都心と郊外のような、都市と地方という関係が無縁ではない場所に思えます。両親の不和で、一時的にこの地域に住む祖母や親戚の家に預けられた子供の視点の話も多いですし。 でも不幸とか悲惨とかではなく、あくまでも静かに穏やかに描かれる、人と人との間に流れる空気の揺れとぬくみをかみしめる本でした。 『聖家族』古川日出男 (妄想の)東北の歴史、狗塚家の歴史、というか記憶を綴った、ながーい本です。 古川日出男は『アラビアの夜の種族』と『ベルカ、吠えないのか?』しか読んでいないのですが、物語の目の付け所は非常にいいと思うし惹かれます。ただ、うーん、私とは相性がよくないですかね。倒置法を多用した語りと、歌謡曲の歌詞みたいな言葉の切り方にちょっと馴染めないのよね。 『聖家族』は、鳥居のイメージと東北の言葉が効果的で、家族の記憶の部分は特に面白く読めました。

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『アンナ・カレーニナ(1)(2)』トルストイ

全4巻のうち、やっと半分まで来ました。さすがに長い。でも読みやすいし面白いです。 高級官僚の妻アンナと青年将校のヴロンスキー伯爵、公爵令嬢のキティと地主貴族リョーヴィン。このふたつの恋愛を軸に、男女の意識から家族観や結婚制度、生活をとりまく政治と宗教まで、19世紀後半のロシアの姿を丸ごと小説にしています。 色男のヴロンスキーはキティに粉をかけながら、アンナと出会って恋に落ちてしまいます。アンナは夫のカレーニンとの間に男児をもうけていますが、夫婦関係にはどこか虚しさが漂っています。 一方キティはリョーヴィンが好意を寄せていることを知りつつ、ヴロンスキーに魅せられて、リョーヴィンのプロポーズを断ります。そして直後にヴロンスキーの心変わりを知って傷つくのです。 いやー、小説の醍醐味がぎゅうぎゅう詰まっていますよ。 視線、呼吸、些細なしぐさから、人物の心理が手に取るように伝わってきます。 ヴロンスキーとアンナとカレーニンの関係は、宗教も絡んだ厳しい結婚の制度や、メンツ、個々の気持ちにぐるぐる巻きになって、袋小路に入り込みます。 多くの人は制度と実情を分けて考え、気持ちの逃げ道を作ります。互いに夫婦という建前を崩さず、異性のとりまきを引き連れるなり、愛人を作るなりするわけです。楽しかろうと虚しかろうと。 しかしアンナにはそれが出来ず、神経が張り詰めていく様子は、さまざまな問題を投げかけてきます。 登場人物のひとりひとりには、欠点もあれば美点もあります。愚かだと思いな…

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なんとなく長編脳

あまり感想を書いていませんが、読書欲は満々です。 何を読んでいるのかは、サイドバーから飛べる本のメモを参照→。 最近は翻訳ものの長編小説が多いです。頭も長編モードに入っていて、集中はできるのですが、出力する気分にならないみたいです。今はそういう時期なのかも。 で、河出書房新社から出ている池澤夏樹編集の世界文学全集をぽつぽつと読んでいたりします。何冊か読んだ中では、ブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』、バルガス=リョサの『楽園への道』が私好みです。 長編脳になっているので、今は調子に乗ってトルストイの『アンナ・カレーニナ』を読書中。ロシア貴族たちのあれこれが面白いのです。そんな中で文中に「なんば走り」という言葉が出てきてのけぞりました。 うん…まあ、わかりやすいですけどね。飛脚かよ、みたいな気持ちにはなります。

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『かぼちゃケーキを切る前に』リヴィア・J・ウォッシュバーン

かぼちゃケーキを切る前に (ランダムハウス講談社 ウ 3-2 お料理名人の事件簿 2) (ランダムハウス講談社文庫)赤尾 秀子 ランダムハウス講談社 2008-06-10by G-Tools 『桃のデザートには隠し味』に続く、シリーズ第2弾です。 キャロリンの知り合いに頼まれ、小学校の秋祭りを手伝うことになったフィリス。チャリティー・オークションに出品するデコレーションケーキと、ヘルシー・スナック・コンテストのためのお菓子づくりに腕を振るいます。しかし秋祭りの当日、校内では事件が起きて…という話。 このシリーズ、殺人事件は起きるけれど、それ以外は日常生活に密着した内容です。なので、日本との習慣や感覚の違いを感じるのが面白かったりします。もちろん共通したところも。 小学校の秋祭りは、こちらで言うところの、いわゆるPTAの活動であり、資金集めの場でもあるわけです。本ではPTO(保護者教師機関)となっています。 みんなPTOの役員になりたがらないし、ましてや会長なんてなおさらだ、というのはいずこも同じですね。会議でのもめごとや、気まずい空気には、苦笑がもれてしまいました。 フィリスが作るのは、ハロウィンのかぼちゃランタンの形を模したケーキです。 私は生地にかぼちゃが入っていると思ったのですが、1グラムたりとも入っていませんでした。かわりに着色料が入っています。そりゃあ着色料だと鮮やかなオレンジに発色するだろうけど……。表面に塗るのは、砂糖とバターなどを合わせたフロスティン…

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『幻影の書』ポール・オースター

幻影の書柴田 元幸 新潮社 2008-10-31by G-Tools 妻と息子を失い、酒と悲しみに浸って幽霊のような生活を送るデイヴィッド。ある日彼は無声映画の一場面を観て笑います。 まだ自分には笑う力があったのだ。 心を動かされたデイヴィッドはやがて、謎の失踪を遂げた無声映画俳優ヘクター・マンの消息を追うことになります。 ポール・オースター作品の好きなところを大まかに言うと、人物が世界のどこかへ漂いだす予感、身のうちに反響する声に耳を傾けるような感じ、ですかね。 『幻影の書』には、偶然の連鎖、自分が何者であるかという問いなどのオースター的要素を踏襲しながら、希望と救いの小さなともしびがあります。 映画と書物、虚構と現実、デイヴィッドとヘクターの人生の物語、いくつもの旋律が重なり、響きあう構成は見事でありました。

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『カエアンの聖衣』バリントン・J・ベイリー

カエアンの聖衣 (ハヤカワ文庫 SF 512)冬川 亘 早川書房 1983-01by G-Tools 衣服こそがその人の意識を表す。そんな哲学をもつカエアン文明を調査するため、敵対関係にあるジアードの文化人類学者アマラたちは宇宙を駆け巡ります。一方、カエアンの難破船から積荷を奪ったジアードの男が手に入れた一着のスーツとは…。 はっはっは。ばかばかしい発想のかたまりを、こねてまとめて引き延ばし、畳んではまた引き延ばす。そうして細く無限に引き延ばされたかたまりは、手延べ素麺のようにつるつると読者の喉を通っていきます。バリントン・J・ベイリーの、どうかしてるとしか言いようのないアイデアと無茶な展開は好きだなあ。 考えたら制服は端的に所属をあらわすし、こう見られたいというセルフイメージを衣服で表現したりしますよね。そこを拡大して作られたカエアン世界のフィールドワークってだけでもわくわくしました。 キャラではイカサマ師のリアルト・マストがお気に入り。カリスマ性のある美男です。導入部で彼は緑色のビロードのチョッキを着て、アール・ヌーヴォーの長椅子に優雅に寝そべっています。 このセンスに対抗できるのは、ブランデーグラスと葉巻を両手に持ち、ガウンを羽織り、足を組んでソファに腰掛ける石原裕次郎しか居るまい、と思った次第です。

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『桃のデザートには隠し味』リヴィア・J・ウォッシュバーン

桃のデザートには隠し味 [お料理名人の事件簿1] (ランダムハウス講談社 ウ 3-1 お料理名人の事件簿 1)赤尾秀子 ランダムハウス講談社 2007-12-01by G-Tools テキサス州の小さな町に住むフィリスは、元歴史科の教師で未亡人。現在、自宅を下宿にして、友人をはじめとする退職した教師ばかりに部屋を貸しています。フィリスにとって、町で開かれるピーチ・フェスティバルのハイライトは料理コンテスト。今年こそ優勝するぞ、と意気込んで参加したフィリスでしたが、彼女の作ったピーチ・コブラーを口にした審査委員長が急死して…という話です。 料理バトルがもっとバリバリに繰り広げられるのかと思っていたのですが、料理ばかりが突出しているのではなく、老人たちの日常や事件の謎解きがバランスよく配置されたコージー・ミステリでありました。 フィリスの作るのは、田舎のあたたかい家庭料理という感じ。下宿人で料理のライバル、キャロリンの作るお菓子は、見た目にも華やかさがあって、コンテストで二年続けて優勝するのも頷けます。 ふと思ったのは、主人公フィリスの人物像、家庭像は、アメリカ人が想像する健全さを反映させた健全さ(わかりにくくてすみません)なのかなあと。元教師という経歴もあるけれど、ちゃんと礼拝にも行って、礼儀正しい息子がいて、寛容で。大統領選になるとアピールしまくる、善き父善き母像と同質のものを感じます。 フィリスたちに男性のマチスモ的な振る舞いを皮肉らせながら、優しくて理解がある紳士を登場させ…

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『心臓に毛が生えている理由』米原万里

心臓に毛が生えている理由米原 万里角川学芸出版 2008-05by G-Tools これからはもう新しいエッセイを読むことはできないのが寂しいなあ。 米原万里は食欲と知識欲が旺盛で、エッセイも言語ネタと食べ物ネタが充実しています。 食物の伝播を戦争の歴史と絡めて考察してみたり、言葉の背後には文化や歴史が横たわっていることを、わかりやすく楽しく書いてしまう才能には感服します。 この本も安定して面白いです。特にご両親について書かれたもの、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』を書いた理由、プラハ・ソビエト学校について語った池内紀との対談は興味深いです。 『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』がお好きな方は読むべし。

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『犬が星見た ロシア旅行』武田百合子

犬が星見た―ロシア旅行 (中公文庫) 昭和44年に、夫の武田泰淳と中国文学者の竹内好とともに旅したロシア紀行です。 相変わらず彼女のまなざしは冴えてます。ツアーの他の参加者である銭高老人は、一度読むと忘れられない人になりますね。特徴のある関西の言葉、立ち居振舞い。武田百合子の銭高老人への好意と好奇心が文章から滲みでています。 泰淳は酒の飲み過ぎ、百合子をこき使い過ぎなんだけれど、物怖じしない百合子の現地の人とのやりとりがまた楽しい。観光地だとかミュージアムよりも、道行く人や暮らしの様子を見つめ、現地の人と交わるほうが、彼女にとって心弾むことなのでしょうね。 これで本になっているものは読んでしまったなあ、と思っていたら、河出書房のムックを発見。 若い頃の写真やロシア旅行の写真、娘さんと弟さんへのインタビュー、武田百合子に寄せた作家たちのエッセイ(追悼文)などが載っています。 で、彼女を無垢だとか天真爛漫だとか評している文学者がいるけれど、ちょっと違うよなあと。金井美恵子も違うよねーと述べています。同感。もちろん無垢っていうのは賞賛の意味を込めているのでしょう。 私は武田百合子はクリアなレンズを持った人だと思うのです。耳もいいです。でも彼女は捉えた対象について、ただ無邪気に書き散らしているわけではないですよ。切り取ったものに対しての鋭い批評性をそなえています。つるつるぴかぴかした、体に悪い無駄なものは見あたらない景色にも、夫である武田泰淳にも、そして自分自身にも、その…

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買った本、読んだ本

たまには買った本など書いてみます。 『百鬼夜行抄(17)』今市子 最初の「狐使いの跡継ぎ」は、話が素直だし燈子ちゃんも可愛くて○。蝸牛の話「付け馬」もよかった。 八代って、いまいちメジャーになれない幸薄い演歌歌手みたいに思えてしょうがないです。 『三国志』宮城谷昌光 いよいよ文庫化。第1巻、第2巻を購入。これは何巻まで出るのでしょうか。 三国志は昔々に吉川英治のを読んだきりです。 長いのは積読になる危険性が高いのよね。 『子午線を求めて』堀江敏幸 まだ売ってませんでした。10日発売だと勘違いしてました。15日でした。『三国志』と一緒に買おうと思って、文庫の新刊コーナーをぐるぐる回ってしまいました。単行本を読んでいないので楽しみです。 あとは読んだ本など。 『十三妹』武田泰淳 日本の中国武侠ものの走りです。『富士日記』で、妻の武田百合子がせっせと鉄道便にのせていた原稿がこれみたいですね。続編が書かれたなら、もっと面白くなっていたかも。語りのノリはいいです。 『銀の匙』中勘助 どこの図書館にもある『銀の匙』。現代かなづかいで字がデカくなっていたので読みました。 えらく感じやすい子供だったのね。思い込みの強いところや、子供同士の嫉妬などもするすると書かれていて、衒いがないのがいいです。 「私にとっては知らない人間は即ち嫌いな人間である。」 …ってのはどうよ、と思って笑ったけど。 『異能の画家伊…

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『地唄・三婆』有吉佐和子

地唄・三婆―有吉佐和子作品集 (講談社文芸文庫)有吉 佐和子講談社 2002-06by G-Tools 思えば光源氏は六条院に春夏秋冬の四つの庭と御殿をつくって女人たちを住まわせていました。 「三婆」は金融業で財を成した男がつくった庭園で、男の死後、正妻、妾、実妹の三人がすさまじい同居生活を送る話です。 庭園といってもその実態は、晩年茶道に凝った男がすり寄ってくる宗匠たちの進言をそのまま受け入れ、めいめい勝手につくらせた庭と茶室が集合した奇妙なものです。 正妻が相続して暮らしているところへ行き場を無くした妾と男の実妹が押しかけてきて、それぞれ茶室のひとつに移り住んでくるわけです。 奇怪な庭園でいがみあう妖怪じみた老女ってのが滑稽ではあるけどちょっと笑えないわー、と思ってしまいました。 かえって「美っつい庵主さん」のユーモアのほうが好ましいです。 田舎の尼寺に都会の若い男女が滞在することになり尼さんたちは興味津々という話。年代も性質も違う尼さんたちの心の揺らめきがうまくすくい上げられていました。 苦悩する父親が微笑ましい「地唄」、ぎすぎすした日本人信者に疲れたグノー神父が公教要理にやってくる芸者さんに萌える「江口の里」も、意外と楽しく読んじゃいました。

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『遊覧日記』武田百合子

どんな存在も武田百合子の視線からは逃れられないんじゃなかろうか。そんな気分です。 浅草、青山、隅田川、京都。お出かけ先で目にした風景、耳に飛び込んでくる音をありのままに綴っています。 剥製の並んだ店だとか藪塚ヘビセンターだとか、向かうところがちょっと怪しげ。桜や牡丹の花を見に行っても、群れ集う人の瞬間的な動作をすばやく写しとります。おばちゃんの会話やしょぼくれた景色が、なんとも心を引きつけるのです。 「あの頃」の中で、終戦後に二十歳の武田百合子が疎開先から東京に出てきた頃の様子を書いています。ぎゅうぎゅうの電車、闇市、闇市の裏に広がる焼け跡。菓子の売り子や出版社事務員、行商など、いろいろな仕事をしたこと。これらも感情をほとんどまじえず淡々と書いています。 過去の東京の風景と彼女の姿が、今の(この本が書かれている時点ね)武田百合子と彼女が見つめる景色と重なって、愛おしいような寂しいような気持ちが胸にわいてきました。 遊覧日記 (ちくま文庫)

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『富士日記』武田百合子

先日読んだエッセイ『ことばの食卓』が予想外によかったのです。これは他の本も読まねばなるまいというわけで、ただ今、武田百合子祭りの真っ最中です。 内容は富士の山荘で過ごした日々の日記です。 車をとばし、買出しをして、ご飯を作って、庭をいじり、夫の武田泰淳の口述筆記をし、地元の人と交流する。そんな毎日が、その日買ったもの食べたものと一緒に淡々と綴られています。 武田百合子はどこか奔放で、思ったことを取り繕わずに書くのです。書かれた人は「わあっ」と叫んでしまうかもしれないけれど、悪口でないことはわかるし、私にとってはそこがまた魅力的です。 ものの見方や感じ方が独特で、日常の場面の切り取り方に身悶えします。例えばこんな。  河口湖の町の通りは、何故だかしいんとして、留袖を着た中年の女が一人、姿勢正しく大きな外股で歩いて行く。背が高く厚みのある体だ。金色のハンドバッグを持っている。白粉をつけない赤銅色の顔。黒い留袖から出て、ハンドバッグを掴んでいる手も赤銅色である。今朝、野良に出て一働きした人が、留袖を着て出かけてゆくのである。(中略)陽がさんさんとふりかかる中を、胸を反らせて歩いて行く。民族衣裳で盛装したアラビヤの女のように立派だ。 要は農家のおばさんが留袖を着て歩いているだけです。文章のうまい下手を通り越して、その人の肖像が、がつんと浮かんできます。同じように、スタンドのおじさんが自作の俳句を語る場面、人から聞いた話だけれど、グリーンのワンピースを着た白髪の西…

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『忘れられた日本人』宮本常一

忘れられた日本人 (岩波文庫)宮本 常一岩波書店 1984-01by G-Tools ちくま日本文学にも一部が収録されていて、興味をひかれました。 主に西日本の老人たちから聞き取った話をまとめています。調査をしたのは昭和の十~二十年代ぐらい。老人たちが生きてきた藩政時代から明治、大正にかけての社会を背景にした一庶民の姿が生き生きと浮かび上がります。 習俗の話ももちろん興味深いのですけど、歴史上の出来事を同時代に見聞きして語っているのが面白いです。 南河内の山村に住んでいた老人は、十二歳のときに山々がゆさぶられるような大きな音を聞きます。山に登った者によると、大阪の空に黒煙が上がっているのが見えたとか。そして大阪から戻ってきた者から鳥羽・伏見の戦いで徳川が負けて、大阪城の煙硝蔵が焼かれたらしいという話を聞きます。 ちっとも実感がわかない教科書の記述より、田舎の年寄りの聞いた噂話のほうが、出来事との距離が近くなるように感じました。 あと地方で独自に郷土の文化を研究している人たちがいますよね。著者と彼らとの交流は、話が弾んで楽しそうなわけです。同好の士です。そういうおじさまのネットワークがちょっと微笑ましかったりします。

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『宮本常一 ちくま日本文学』

宮本常一 [ちくま日本文学022] (ちくま日本文学 (022))宮本 常一筑摩書房 2008-08-06by G-Tools 民俗学者の宮本常一の本を初めて手にとってみました。 農村、漁村、離島を歩き、庶民の生活をつぶさに観察した様子は、旅日記や読み物としても面白いです。 自身の故郷である瀬戸内の島の生活誌では、波の音、食生活、生計の手段、人の行き来などが細やかに描かれます。五感を開いて物事に接している姿勢が、フィールドワークでも生かされていることがわかります。 米を背負って民家に宿泊し、人の懐に入って名もなき人たちの話に耳を傾ける。そのようにして女たちの世間の話や、夜這いなどの性に絡む話、『土佐源氏』のような乞食老人の生涯の話を引き出したのでしょう。 昔の農村て、貧しくて陰惨な風景のイメージがまずあるけれど、住民たちはそれなりに楽しいことを見出して暮らしていただろうと宮本常一は言っています。自身の経験や資質がそう言わせるのかな。おおらかな感じがしていいなあ、なんて思いました。

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『宿屋めぐり』町田康

宿屋めぐり町田 康講談社 2008-08-07by G-Tools 滅びにいたる道は広く、光にいたる道は狭い そうかー…。鋤名彦名の場合は、広い道をまっすぐ歩いて大権現を目指したほうがいいんではないの? などとおせっかいなことを思うのだけれど、何か目的があって、上がりがあるのが人生というわけではないですもんね。 主の命を受けて、大刀を大権現に奉納すべく旅をしているのが主人公。酒や女や金の誘惑にすぐ負けて、どん詰まりに追い込まれ国々を流れていく、そんなエピソードのループです。 偽の世界にはまりこんだ彦名が、主を畏れ、世界を自分と主の関係のみで捉え、主の意志、主の正義の代行者になった気分で失敗を繰り返します。しかし偽の世界を正すのが主の意志、それを行うのが自分の使命と信じること自体が、自己保身や責任を放棄するための言い訳になっていて、その手前勝手なダメっぷりが言葉と思念のダダ漏れ文体で押し寄せてきます。 彦名が偽の世界の住人を有象無象といやしめるけれど、彦名こそが有象無象なのですよね。 有象無象がひしめく因業の世界にぐっとカメラが寄って、そのなかの一人を大写しにした、そんな風に思えました。 それにしても彦名ってしぶとい。

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『火星夜想曲』イアン・マクドナルド

火星夜想曲 (ハヤカワ文庫SF)Ian McDonald 古沢 嘉通 早川書房 1997-08by G-Tools 砂漠の真ん中に町が生まれて半世紀後に消えていくまでの物語です。 『火星年代記』や『百年の孤独』を彷彿とさせる。そんな評を読む前に目にしていましたが、よくわかりました。 火星の砂漠に生まれた町の年代記を、マジックリアリズムの手法を取り入れて描いているんですね。 砂漠を旅していたアリマンタンド博士が小さなオアシスに留まり、そこに犯罪組織の頭だとか見分けのつかない三つ子ちゃんだとか、奇妙なひとびとが流れ着いて町を形成していきます。その様子が、変なたとえなんだけれどアリの巣や動物のコロニーが出来るのを眺めているようで面白いのです。 その後、町で生まれ育った世代が外の世界へ出て、紆余曲折のエピソードが続くところはちょっと長いなーと思ってしまいましたが。 人が集まってくる前半と、町が終りを迎えようとしているラスト近くの雰囲気は好きです。不思議と町にも住民にも愛着がわいて、湿っぽくはない、ほんの少しの哀感が漂います。 あ、全体の乗りにはユーモアがありますね。サービス精神が旺盛なのかな。

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